あたりまえたいそう

当たり前のことをかきます。たぶんINFP

さみしいときに考えること

仕事が終わって夜暇なとき、あらゆる友達にも取りたい連絡は取りきったあと、わたしは関わりがある彼らが何をしているんだろうと想像する。彼氏彼女旦那妻と一緒に過ごしているのか、険悪にしているのか幸せにしているのか、ご飯は作っているのか買ってきたものか、はたまたテレビを見ているのか、何か勉強しているのか、ゲームしているのか、友達とひとりで。次もし会えるならなにをしようか。今連絡がとれなくても明日仕事のひとたちの存在は確認できる。友達の姿が簡単に確認できないのは社会人のよくないところ。そう思うと学生時代に友達のこと愛してたらもっと日々が楽しかっただろうなあ。本当に会いたくなったときは自分から連絡する。周りの人のこと愛してなかったとき、連絡をとっていなければ孤独で忘れられていると思っていた。それはわたしが何もしてないとき、一切彼らのことを思い出したことがなかったからじゃない?すぐに新しい人間に頼ろうとしては切ってた。頻繁に繋がりをもってくれる雑なひとでもいいから求めてほしいと思っていた。全然よくなかった。自分から求めたほうがよっぽどゴールが近かった。たまたま運が良くて、小さな頃に求めてもらった経験をずっと覚えていて、その考え方が正解なんだと思っていた。待つことでしか幸福を感じれないのはとても不幸になりやすいと思う。コントロールできる範囲を自ら減らしている。

昨日ふたりの友達にまあまあ本気で怒られた。その考え方は違うのでは、のような、ただの肯定じゃない真剣に取り合った言葉をもらった。一見ほんとうにどうでもいい他人のことにそんなに真剣に言葉をもらえることが感動した。あ、間違ってたところあったな。と思った。わたしが言っている内容を真剣にジャッジしてくれるんだ。真剣にそのものごとを聞いてくれるって嬉しいんだ。みたいな。こういうことも書き記さないとすぐに忘れてしまう。強欲だから。

会社のひとにチヤホヤされた。あっ、してくれるんだ、と思った。なんか頑張ってきて良かったなとおもった。自分からあげてないけど褒めことばがもらえるようになった。ひとへの褒めことばはそう思ったときにあげている。欲しいものはそれを切望した時期が終わるくらいまで気にならなくなったときに手に入る説はガチかもしれない。