SNSが疲れる理由
好きな人のラインが来るのを気にするのがつらすぎてスマホを放り投げたこの一週間。いつも見てるtwitterのタイムラインを見なかった。
なんて心が衛生的なことか!!!!
一週間ぶりにTLを見たら10秒で、あっ服買わなきゃ、私も慰めてくれる彼氏ほしい、恋人は顔じゃなくて心が通じあえることが大事なのか、あっこのイベント私は当たらなかった…って知らない人のツイートでだよ?????心がジェットコースターになったwwww
いや知らない人のツイートだよ??(2回目)
なぜ知らない人のツイートにこれだけ心が荒むか
匿名性がある+いいね数が多い(共感が多い)意見が流れてくる
「誰の」発言かわからないけど、マジョリティの意見だと感じる
うっかりなるほど〜って参考したり共感しそうになる
いやその意見何のエビデンスもないからな!!!!
SNSの匿名の投稿、何のエビデンスもないことを意識したほうがいい。
匿名性がなければ「この人の意見」だと「他人」と意識することができる
最近の趣味、風呂に入りながらラジオを聞き流すこと。ラジオの何がよいか、公共性がある。匿名じゃない。発言者が何者であって、どんなバックグラウンドがあるかはっきりさせている。公共性があるのでエビデンスがあるし、「皆」が聞けるような放送になっている。
個人の責任のない発言に疲れた人間が、公共性(ラジオ・テレビ・芸能人・本)に戻ってくる時代来るのでは?とちょっと思った。
youtubeは広告つけられるしチャンネルに動画が紐付けられてるし顔も出せるし動画作ることにコストかかるけど、名前出さずに140字だけあれば運用できるtwitterはたちが悪いですね(突然のディス)
検索せずに自分の中だけの意見を揉む練習ができてない
仕事するときって他のサービスや事例を参考にしたりするから、自分が悩んでることも何かを「参照」したほうが結局答えにたどりつくのが早いんじゃないか?と思って、悩んだときにまず「検索」することが癖になってた。
検索結果に私自身の答えは落ちてない。
10人いれば10人が違うことを言う。大まかの方向性が同じことはあれどデティール含め全く同じ意見、ということはほぼない。
なのにいいね数が多い意見参考にしてれば、自分の正解にたどり着くかというとそんなことはない!
仕事にはエビデンスがあるが、自分の感情にはエビデンスがない。
米が好きとかパンが好きとか、朝ごはん食べたほうが調子がいいとか、そういうことは、誰かの意見はどこかに載っていても、実際あなたがどう感じるかはネットに落ちてない、心に聞かないとわかんないよー。
健康になるためのエビデンスは載っているが、その食べ物を食べておいしいと感じるかどうかは載ってない。今更気づいたよ!!!
このブログも匿名性のある適当な発言なので無視してくださいね…