あたりまえたいそう

当たり前のことをかきます。たぶんINFP

関係性を0か100かできらなくなった

このブログをはじめたときはもっと苦しんでいた気がする、いまもたまにすぐ嫌われた、って思うけどそこからまぁいいかと思ってまたアクションしてみると別に嫌われてなかった、って経験を何度かしたら白黒ではなくなった。徐々に白と黒の境界がぼかされているように感じる。世の中はわりと白黒つけたがるね、そっちのほうが明快だし単純だからかな。記事のタイトルも関係性も。人間や物事のことを自信持って100愛してるか、そんなことないだろ、そっちのほうが美しく聞こえるが、約束されていたとしても完璧な約束はないよ、移り変わるから。世界は言葉によって規定されている、認識しているらしい、ってなんかの本で読んだ、そう思う、鬱病について病院やカウンセリングに頼ることはほとんどできなくなった。良い病院や良い友達や良い人がいてもそのひとは人生を救ってくれないんだもの。当たり前かよ。なんで救われようとしてたんだ、ならせめて神に頼っとけ、誰かに誰かと私のぶんの幸せ預けるなんてまあ無責任だったね。愛やすきが重いのはその言葉が投げられたとき、なにかを期待されていると思うからだろうね。期待されてもそのとおりに僕は動けないよ。あーそれで神が自分である、神は偶像である、っていうのはそうだろう、具体的な人間を神にしないで思考を神にする、すなわち自分(の思考や崇拝)を神にするのはとても健全だと思った。今更大森さんのドグママグマの意味がわかったよ。