親くらいまで人生を重ねたら生きるのは楽になるのかな
最近親くらいの年齢の人と話をした。その方はとても陽気な人で、接したことはあれど、他愛のない会話をしたことがなかったので、その人の朗らかさにびっくりした。
いや、年齢じゃない、人柄、というのはわかっているけれど、私も人生を重ねることで、(ここまで生きてしまったという経験やいろいろでどうでもよくなって、思ったように振る舞える、いろいろの普通解がわかる)こういう感じに柔らかくなれたら良いのに。と思った。
ある年代になると、いろんなことがどうでもよくなるし、未来が〜とか承認欲求が〜とかの感情が薄くなるときがあるから頑張れという話があるけどそれを信じてもよいのか。
でも現実でもネットでも、その例に当てはまらない人を知っている。親のそんなの思春期でしょという言葉は、大人的な年齢になってもこじらせている自分には合っていなかったので、この法則もあんまり信じちゃいけないのかもしれない。
※普通解が〜とか言ってる時点でこじらせてるのはわかる。
※楽になる〜という表現が語弊を生みそうではある。いくら生きたって楽ではないと思うけど、いくつか増えた正解を自分の中に持っていると信じたい。