あたりまえたいそう

当たり前のことをかきます。

本音を言えないことが大嫌いだった

※すみません、バグでめちゃくちゃ記事が量産されてしまっていたようです。更新履歴?がめちゃくちゃ荒らされていたらごめんなさい…。スマホで更新するの危険だ…。

スターつけてくれた方の記事消してしまっていたらすみません。

あと追記しました。

 

 

これは小学生頃から思っている。

私はたぶんませていて、幼稚園や小学生の頃は母親たちの会話を側で聞いていることが一番好きだったり、友達を作ろうと躍起になることがなかった。めちゃくちゃマイペースだった。皆そうなのかな?

 

しかしこれは、のちほど世間の目を意識してしまった後に崩され、ながいながい思春期に突入し、それはいまだ終わっていない。世間の目を知らないあの頃のほうが、考え方は落ち着いていたしよっぽど悟っていたような気がする(何も知識がないので、幼稚な悟り方ではあるのだが)。

 

「本音を言えないことが大嫌い」になったのは、たぶん思春期に入ってからだ。世間の目を意識した時、周りの大人や親や先生やクラスメイトの欺瞞(言い方きつい)が目に見えるようで、それが嫌で気持ち悪くて仕方なかった。クラスメイトが、さっきまで悪口を言っていたのに、その後本人と何事もなかったかのようににこやかに話しているのを見た時なんか「はぁ〜〜〜?!?」みたいな感情がたぶん顔に出ていた。学校では、「なんでそんな“世間的に良いこと”を言うんだ、本当はそんなこと思ってもないくせに」と席におとなしく座りながら、頭の中では、この静かな教室の窓を割ったり机をぶん投げたりしてぶち壊したいと願っていた。(残念ながら実行したことは一度もない、代わりにヤンキーが勝手に暴れてくれた。)その私の姿だって随分欺瞞的だ。それもあって私は自分のことが大嫌いだった(思春期特有の症状)。

 

おそらく「他人の本音を見たい」心理が働いていると思うのだが、たまたまついったーで見つけたこのブログが本当に面白い。

 

アダルトチルドレンな日々

http://blog.livedoor.jp/ilovecat1/

 

彼女も「ここでしか言えない」と書いているように、ブログという場を借りて本音(ブログ用に脚色もあるだろうが)を綴っている。

主婦友ランチからの卒業(http://blog.livedoor.jp/ilovecat1/archives/51978728.html)なんて傑作だ。主婦や女性じゃなくても、一度は考えたことがあるはず。エッセイ本になりそう。

 

彼女の話に全ては共感できない。というかほぼ共感はできないが、それも彼女はわかっています、というスタンスも好きだ。読者からのメールの返信(http://blog.livedoor.jp/ilovecat1/archives/51961584.html)で「あなたと私は立場が違うから理解しあえない」と丁寧に立場の違いを説明しておられる。あまりネットでこういう風に、「私の意見」と「あなたの意見」と区切れる人はあまりいない(とくに増田では……)

 

※追記

この方のブログにハマってしまい、1日読んでいたのだが、ACの傾向がある自分はどうしても気持ちがつられてしまい気持ちがめちゃくちゃ沈んでしまった。忠告ではないが、中毒性があるので(褒めてます)、心して読み始めた方がいいかもしれないです。

 

本音の話はまだしたいが、一旦区切る。

現在は「本音を言えないことが大嫌い」はだいぶ落ち着いている。脱思春期中だ。「社会」でうまぁ〜〜く生きていくために、私も欺瞞的にならざるを得ない。得なかった。でも、その気持ちは心の底で大事に持っておきたい。持っておかなければ…

また言いたいことが言えなくなった

こんばんは。色恋沙汰のお話です。
のろけ話がいやな方はスルーしてください。

 

またお付き合いしている人に「言いたいことを言えない現象」がやってきました。言いたいことができて、言えなくて、迷っているうちに下書きをメモに追いやるという。

こんなめんどくさいことは、言わない方が、嫌われないだろうなあ…っていう。

で、言わないと、後々もっと気持ちがこじれるんですけどね。

友人だったら「ずっと会うを約束している関係」でもないし、「お互い好き合ってるから会う」わけでもないし、「言いたいけど言えないなあ」案件が発生しても、根に持つような感情ではないので(友人関係を重く捉えていないので)、まあいっかで忘れられるんですけどね。友人に関しての今の捉え方は、「一回会うこと(次の約束)を楽しみにする」ような感じです。

恋人は、付き合うならば長くなるだろうなあと思って付き合います。となると、なるべく良好な関係を続かせたいわけですね。で、面倒くさい感情が自分のなかに発生すると、良好な関係のために、言うべきか/どうやって言おうかめちゃくちゃ悩むんですね。本来逆なんですけどね。

以前、ネットで見つけた心理カウンセラーの方にお会いして、恋愛相談をした時に「付き合う人には一番心を許す」というのを聞いてメカラウロコが落ちたことがあります。私は逆のようなことをしていたからです。嫌われることがこわくて、良好な関係のために気を遣って、ビクビクしている。(気を遣うこと自体は悪いことではないです)

現在のいちばんの解決策は「一番最初に言いたかったことを一言でスパッと言う」です。

「言いたいのに言えない」案件が発生する、理屈や遠回しをこねくり回して本音を気づいてもらえるように、察してもらえるように長々説明しはじめる(女の悪い癖の)発端は、最初に現れた「言いたいこと」を「これを言ったら嫌だなあ…(ださいなあ、嫌われるかなあ、恥ずかしいなあ)」で封じ込めてしまったからだ、と思っています。

あ〜〜どうしようかなあ「こんな何もできない私でいいの?」とか「ほんとに好き?」とかめっちゃださいよなあ〜〜〜

差を見せないと大切かはわからない

いままで「もっと近くにいるひとを大切にしなよ」と言われることが何回かあった。

「大切にするってなんぞや」自分はしてるつもりだったからわからなかった。


近くにいる人というのは既に近くにいるのだ。(哲学的問いではない)

遠くにいる人なら、会いたいなと連絡したり、例えばプレゼントを送ったり、アクションを起こして気にしていることを示すことで「大切にしている(思っている)」とわかる。


近くにいる人はどうだろう。

毎日連絡しているとしたら、連絡しなくても会えるとしたら、アクションを起こしていることが当たり前になる。あるいは、アクションをアクションと感じなくなる。お互いに。


なので、たまに、意識的に「あなたは他の人より優先順位がたかい」とわかりやすく、相手が気づくように示してあげる必要がある。

のかなあと思った。


「他の人とは違う態度」「他の人とは違う時間の使い方」をされることで大切さがわかる。逆も然り。


大切さってのは難しい。分かっているもんだと私はよく奢ってしまう。または、大切さを伝えるのがこわい。それは相手でない、その後に傷つくかもしれない自分を守るためである。


案外人間はさみしいということでもある。さみしく見えない人も自分が大切にされてるか不安。意外とみんな自信がないのかもしれないと思うと仲間な気がしてくる

性欲が強い女が夜の営みについて書く

nyaaat.hatenablog.com

 

久しぶりにはてなブログを開いたら、前にヴィレヴァンで表紙を見て気になっていた「1122」について書いてあったので思わず読んだ。

 

このブログでは女か、とかあまり言及していなかったが、「性欲が強い女」の1人として夜の営みについて意見を書きたいと思う。

 

私が性欲が強いことを、何が実証するかというと、小学生の頃からエロ漫画が大好きだったし、いつの間にか1人ですることを覚えていたし、相手がいれば希望は週3以上でしたい。

というか、ほぼ男性と同じである。

街でタイプの男性を見かけたら「あっいいな、やってみたい」と思うレベルには性欲がいつもあるし(まあこれは若い時というか盛っている時)、エロい気分になるのに時間がかからない、特にスイッチもいらない。

 

女が、昔から性を抑制されてきた、については同意する。

確かに、同性の友達と性についての話をすることなんて今でもほとんどないし(男子は中学生から楽しそうにその話題を共有しているのに)、女がこのブログのように「性欲つよいんです~」なんて公言したら冷やかされるしもうものすごい目で見られると思う。AV女優にお世話になっている人は何人もいるはずなのに、2chでは「AV女優になるやつw」とか言う。(ちょっと世の中へのヘイト入ってますが、すみません)

 

その抑制の殻をやぶって、女が「性欲を持ってもいい」と思えたのは、「性欲がある(強い)女として認められる・必要とされる経験」また、「同じような人がいることを知る」のがきっかけである。

最初はネットメディアmessy(http://mess-y.com/)にはだいぶ救われた。これは自称ビッチの方がたくさんコラムを書いている「女のホンネ」(だっけ…)メディアである。

あとLC(ラブコスメティック)。(http://secure.lovecosmetic.net/member/login.php)グッズや口コミ記事を通して、女性の性欲や「夜の営みについて考えるのはいいことである」を貪欲に発信しつづけている、大好きな企業である。

 

私は逆に、性欲が強いことに悩んでいた。実際、現実でも、私くらいの同性には会ったことがない。(クラブとか行けばいっぱいいそうだけど自分はそういうタイプではない)

 

強い女にとっての悩みはなんだろうな。夫婦だったら、夫がやっぱり仕事が忙しくて夜遅くて答えてくれなくて欲求不満、かなあ。

本番の方を求めるなら、性欲が女>男のほうがきつい気がする。性欲を最大限までにあげるハードルが高いというか。 

 

なんかごっちゃごっちゃになってしまったけど参考になったら、女性が自分の性について認めるきっかけになったら嬉しい。

 

現実主義の人がすきだ

私が理想主義だからなのだけど、現実主義の人を見るとめっちゃかっけ〜て思うし憧れる。

頭の中でごちゃごちゃしなくて、言い訳しなくて、現実で邁進していく感じが。


でもエッセイとか漫画は理想主義、というか頭の中ごちゃごちゃしてたりこじらせている人の方が、屁理屈言いたいし言い訳したいことや世の中への不平不満がたくさんあるので面白いよね。


私が大好きな増田もそれで構成されているわけだが、言い訳など一切しない現実にのみ邁進するひとははてな匿名ダイアリーになど書き込まないのかしらんと思う。(書き込みたい日もあるかもしれないが)

休むことや止まることに罪悪感がある

あ、やめたい、と思ったときに「もう死ぬしかない」と急な思考回路になる。逃げられない人が潰れていくんだよ、とはまさにそのこと。


有り難く、現在は人間関係に恵まれている。自分からアクションを起こさなくても、連絡が来るようになった。逆に途絶えてしまった人もいる。すごく前に読んだ「あなたは絶対運がいい」(作者が金持ちのお嬢さんでディスられているが)という本に書いてあった、住む世界が違ってしまったとかそういうことなんだと思っている。というか、この「連絡を私からするか否か」については、「私から連絡する」ハードルが物凄く下がったからあまり労力や精神的疲労を感じていないだけなんだと思う。その意味でも、以前あれだけ望んでいたものを、いま手にしている。


RADの歌で「どれだけ望みを叶えてきたか」という歌詞があるけど、それだと思う。まあでも、勇気を出すを繰り返してそれが勇気が必要じゃなくするという繰り返しである。できるが増えるのは、そういうことである。人生はたぶんそれである。人生を生きやすくするのもたぶんそれである。


最近子どもができたら何を教えようかなとよく考える。私の親は、逆に、あまり教えてくれなかった。これこれこんな人生だった、とか教わることもあまりなかったし、逆にこれをしなさいと命令されることもあまりなかった。親の親に強制されていたから「自由にしたいことをさせてあげたい」と思ったんだそうな。有難い。有り難く貧乏じゃないし、他の子ができないことができたりする。感謝し足りない。


子どもには「とりあえず失敗してもいいから何でもやってみなさい」と言いたい。周りの大人が言う陳腐な台詞だけれども、子ども相手ならば「失敗したら戻ってきていいから、いくら失敗しても私はあなたの味方だから」と言いたい。言葉に出すことはたぶん重要だと思う。親も思ってたかもしれないけど、伝わっていないから。


脱線した。私はいまだになるべく完璧でありたいしよくなりたいしよくならねばならないと思っている。だから真ん中の自分は「もうやめたらいいんじゃね?」「これやったらめちゃくちゃつらくね?」と思っていてもいやまだやれる、とか、周りが期待してる、とか、将来のためにならない、とか思って続けてしまう。もはやどちらが本音かはわからないが辛い選択をする傾向にある。ドMである。「刺激の多い人生のほうかたのしい(それが不幸でも幸でも)」とは、はっきりと思っているが、それに真ん中の臆病な自分が耐えられるかわからない。急に「ストップ」のこえが大きくなってすべてをやめてしまうかもしれない。という葛藤や恐怖を1日のほぼ半分は抱えている。すっげ〜〜今日めちゃくちゃ安心〜〜な日、何も考えてない日〜〜は人と一日中遊んでいる日か、1人なら1カ月に一日あるかないかくらい。一日中寝てたら、なにも考えないけど、長時間寝て起きた後の怒涛思考ラッシュが恐ろしい。


それをある大人に相談したら専門医かカウンセラーに見てもらったら、と言われたのでカウンセリングに行った。カウンセリングは全く否定のされない会話で、デトックスにはなったけれど、普段から友人や相談相手がいるいまの状態だとあまり違いを感じられなかった。継続したら、また変わってくるかもしれない(でもあまり時間がないから、いまは継続がきびしい)。


専門医はまだやっていない残された道だ。薬で不安を抑える方法もある。これも「勇気」や「少しの手間」「負担」を超えれば、少しは生きやすくなるかもしれない。これが「でき」たら思いのほか良い効果があるかもしれない。たしかにすべては、やってみないとわからない。

twitterも見れなくなった

情報過多らしい。twiiterも、本垢が混沌としすぎて見るに耐えなくなったから閲覧用アカウントを作ったのに、それも見れなくなった。

人の言葉に影響を受けやすいたちなので、影響を受けてもいいような、すきな人たちをフォローしたはずだったのだがそうでもなくなってしまった。

SNSや、ファン活動なら、勝手に好きになってそうでもなくなってもあまり周りに影響を与えない。

しかし生身の人間相手でも起こりうるのである。私だけがしているわけじゃない、される側でもあるけれど、「飽きる」のは「わるい」ことかしら。それが出会いと別れと呼ばれる事象なのか