学んだことひとつ

変われるの?無理なの?

思い込みが天下一品

勝手に長らく苦手だと思っていた、むしろ苦手だと思っていることを認めたくなかった人にかなり久しぶりにラインをした。あまりに自分と違うので嫌われているのだと思っていた、あるいは、自分が彼らに偏見を持って怯えていた。後者の方がきっと正しい。彼らというのは、パリピ的な感じの人たちである。ラインの速度がめちゃくちゃ早くて短文でさらっとしている人たちである。

私のラインはよほど慣れている人相手でないと、やたら長ったらしくて空気を和ますために絵文字やびっくりマークを多用したりして、全く早く返信できない。それが良い効果を発揮しているのかどうかはわからないがやらないでいられない。内容を確認しきれずにあまりに早く返信すると、間違ったことを言ってしまったんじゃないかと思って(ラインは取り消せないので)、良い返事が来ない限り後から不安で仕方がないからである。結構ほとんどの人に対してこういう態度を取ってしまう。自分のそういうところが一番嫌いであるし一番の弱点だと思っている。

今回の連絡は必要不可欠みたいなものだけど、返事はあまりにあっけらかんとしていて、うん!とかそうだね!とかありがとう!とかすごいスピードでやり取りをした。こう書いてみるとやっぱり嫌われているんじゃないかと思えてくる。それはまあ私がそういう文のやり方をしないからかもしれないけど、自分のやり方を相手がやらないから嫌われているんじゃないかって、なんかもう凄い気がする。もの凄い思い込みじゃないだろうか?嫌われたらそんなに困るのかな?

むしろ、嫌われていると思って、関わることを避けたほうが本当に良くない関係になるんだけどな。ということが、これまで人生を積んできてやっとわかってきた。あーあ、本当に誰かに連絡を取るのって、アクションを起こすのってこわい。私のことを完全に好いている相手かめちゃくちゃ優しそうな人か嫌われてもいいくらい好きな人にしかアクション起こせない。

思い込みが天下一品すぎて、出来なかったことがたくさんある。やってみたらできたかもしれないのに。それらを、アクションを起こすことに慣れて、なるべく出来たことを増やすのが今年の目標である。

親くらいまで人生を重ねたら生きるのは楽になるのかな

最近親くらいの年齢の人と話をした。その方はとても陽気な人で、接したことはあれど、他愛のない会話をしたことがなかったので、その人の朗らかさにびっくりした。

いや、年齢じゃない、人柄、というのはわかっているけれど、私も人生を重ねることで、(ここまで生きてしまったという経験やいろいろでどうでもよくなって、思ったように振る舞える、いろいろの普通解がわかる)こういう感じに柔らかくなれたら良いのに。と思った。

 

ある年代になると、いろんなことがどうでもよくなるし、未来が〜とか承認欲求が〜とかの感情が薄くなるときがあるから頑張れという話があるけどそれを信じてもよいのか。

でも現実でもネットでも、その例に当てはまらない人を知っている。親のそんなの思春期でしょという言葉は、大人的な年齢になってもこじらせている自分には合っていなかったので、この法則もあんまり信じちゃいけないのかもしれない。

 

※普通解が〜とか言ってる時点でこじらせてるのはわかる。

※楽になる〜という表現が語弊を生みそうではある。いくら生きたって楽ではないと思うけど、いくつか増えた正解を自分の中に持っていると信じたい。

生きるかどうか、選ぶ権利は君にあるって言ってほしかっただけ

だから大森さんの歌や、哲学や、それら「生きること自体を疑う人」を見たりすると泣いてしまう。生まれた瞬間、生きなければならないという使命を与えられるなんて信じられないな。重すぎる。僕らには意志はない。だから出生反対派には賛成できる。

 

だからって子孫を残したくないわけでもない。身勝手な行為だなと今でも思う。

ポジティブな人について、最近考える。ポジティブな人は2種類いると思う。本当に何も考えずに良いを信じきっている人と、考えたうえで責任を受け入れ良いを信じている人。後者は偉いな。私は最近後者になりたい。後者の人はとてもかっこいい。ただ今の私には、前者と後者をぱっと見分けるのは難しい。

 

生きるかどうか選ぶ権利は君にあるよ。皆にあるよ。その前提で生きてほしかった、前向きに、とか、約束は守れ、とかこちとら、瞬間でその狭間を迷っている。それは子どもっていうんだってね。私はまだ大人になれない。大人のフリが、長くできたらいいな

肯定感を育むための全て

久々に本業で幸せな気持ちになったので書くのですが、仕事もセックスも友情も趣味もひとの肯定感を育むための全てなんじゃないかって。

ひとが健康的に生きていくための根本に肯定感があるから、それを育むためにひとと関わろうとしたり何かの活動を通して自分で自分を認めようとしたりしているんじゃないかって。寂しいも愛も遊びも意識高い系も歌手も服も。

生きていていいよって言ってほしかったな、間接的にでも、「本当にそう思っている」と感じられるような行動が欲しかったんだ、って。欲張りなんだね。他の人は言われなくても生きていけるのに。

他人の些細なマイナス感情や無関心を読み取り、何かの拍子ではっきりとそれを言われてしまえば、肯定感など積もっていない中身がたちまち壊れてしまう気がしていた。私の病はずっとそれだ。

思春期を過ぎても持病の臆病は環境に守られていたので、強くなる覚悟もせず、潰れては休んで諦めて生活を続け、健康な人とどこか対等に立てないでいた。

【健康で文化的な人間らしい生活を送るために必要な肯定感を育むための全て】

周りの気持ちを考え始めた途端に破綻

することが多い。私は。大体、一対一の数十分ならまだしも、会社など、何十人もいる中で周りの気持ちを慮りはじめると大体私の心の生活は破綻する。行動に一貫性がなくなる。それが心の中の疲労の原因であることに気づくのはとても遅い。その頃には自分の気持ちがどれなのかわからなくなる。その時に何かしらの選択をすると、選択が間違っていたかのように思う(実際は選択に"間違い"などはないので、思う、なのだ)。選択を後悔する時、大体周りのせいにする。「あの人がああ言っていたから」「周りの環境的に、無理のような気がしたから」私がこれまで、これは絶対に確実に自分で決めたし自分がしたいし自分で責任を負うと決めて行動できたことはひとつしかない。内容はここでは書けないけれど、何が起こってもしない方が後悔する、と思ってしたことだ。自分の気持ちは自分の気持ちであると断言するのは、人がたくさんいる中で生きているうえでほぼ不可能だと思う、油断していると誰かの思考が自分の中に入ってくる。だからたくさんの知り合いと心地よく過ごすのは私にはできない。

SNSが人格を持ち始める日

いろんなサービスを始めて、ある程度の日数が立つと人格を持ち始める。見ている人がいなくても、いればなおさら、なんとなくそれを守ろうとする。人間は「一貫性」をとても重要視するらしい。辻褄が合わなくなると、言い訳をしてでも一貫性を持たせようとする。

社会的なことが私は本当にきらいだ。苦手だ。その中で求められているような人格になろうとしてしまう。息苦しい。

それを皆は上手くスルーして生きていくのだ。時々リセットしたくなる症候群(http://menhera.jp/2484)はここからくるのだ。SNSこそ簡単だが(口で言うのはそうであっても)、私は1番最初に作ったもはやフォロワーのジャンルが混沌として発言がしにくくなったtwitterアカウントでさえ未だリセットすることができていない。執着はないつもりでいるのだが、可能性を捨てるのがとても苦手なのだ。

これは夏バテだ。そう思っておくことにする

 

※前回「社会のことが分かった!」と書いておきながら今回「社会が嫌いだ」と書いているの情緒不安定っぷりすごいなと思いました(理解と好きは違いますが)。びっくりしました。

社会で生きるとはどういうことかについて考えた

ニュースに疎い私だったが、有難いことに「最近の話題」「社会の仕組み」「大人」などについて教えてくれる先生や学ぶ場所があり、社会のことが数年前より少しはわかってきたのだと思っていた。

 

「水道の民営化がうまくいかない」について考えをレポートする機会があった。具体的には、「ヨーロッパ(イギリスやドイツ)で進められている水道の民営化だが、人件費や設備投資のコストダウンにより水質管理などがおざなりになっている」という話だった。自宅で水道が壊れて水道会社(民間)に連絡しても、お前の管理が悪いと言われ治しに来てくれないのだとか(by Kern TV)

分かりづらかったので、ネットで調べた。

 

「水道民営化」法で、日本の水が危ない!? | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/07/post-7936_1.php

 

なるほど、生命維持に関わるライフラインをお金儲けしようとすると、人間の私利私欲が出てしまうので、商品(水)が「すぐに簡単に利用できる」「いつでも高品質な水を維持する」などのお金儲けにならないことは後回しになってしまうのだと理解した。

 

ビデオで、水道屋さんが治しに来てくれないと嘆いていたお父さんが、弁護士の娘に被害を相談した(無料で)と自慢げに話していた。

 

なるほど、これが社会か?と思った。

水道…人間が生きるのに必要なもの

水道会社…水(ライフライン)を管理せねばならない、管理するために常に働く人(機械でも可、しかしその機械を生み出すのは人間)が必要

水道が壊れて嘆く父…水が使えなくて困っているが、弁護士の娘という助けてくれそうなつて(救い)があった

弁護士の娘…法律の勉強をし、困っていた父を救う

父と娘(人間)…生きていくには水が必要

 

ああー!!これが社会かー!!だから勉強しなくちゃならなかったのかー!!救い合わなきゃならなかったのか、ギブアンドテイクだったのか、と理解した(ひとりで)

 

うえのあたりを、くるくる回ってる図とかにしたらもっと分かりやすいかなと思った。

 

社会って規模がでかすぎて、自分が必要なのか分かりづらい。(現に日本なら自分が働かなくても生きていける環境がある)

これが村ぐらいの規模なら、周りの人と救い合っていくために働かなきゃ(罪悪感も必要性も感じるので)ってなるけどな。

 

最近の日本は元気がないので、なぜ働かなくてはいけないのか疑問を抱いている人が多い。分からなくて、心をやられてしまって、働くのをやめるし、働くのは嫌だというループだ。どうしたら、凡人でも末端でも自分が必要だと思えるようになるんだろう。わからん。